@SHISEIDO GALLERY
東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビルB1F
3/9(金)〜4/1(日)月休
11:00〜19:00(日祝:〜18:00)

このクリエイションをリアルタイムで観られることの嬉しさをあらためて実感。
資生堂ギャラリーで開催されたshiseido art eggの最後を飾った内海聖史さんの展覧会。
この展示のための作品製作の過程も内海さんのブログで逐一拝見していて、始まるずいぶん前から楽しみで。
オープニングには伺えなかったものの、翌日の土曜日から毎週、銀座に来たときは必ず足を運び、その都度刺激を受け、展示されているこの状態で体感できる内海さんのクリエイションをできる限り堪能しました。
しかし、きっと毎日観たとしてもその分だけの発見があるだろうことは想像に難くないですし、おそらく製作者の内海さんにとっても、製作段階から、さらにこの企画が決まったときからご自身の内側に新しい発見が起こり続けられていたのでは、と思うのです。
この展示を初めて目にしたときの嬉しい衝撃。
内海さんは油彩の、すなわち平面のアーティストでありながら、作品が発表されるほぼすべての機会において、その「空間」での展示を前提に、展示位置に始まって作品のサイズや構図などが決まっていくそうなのですが、銀座随一といってもいい資生堂ギャラリーの広々とした容積をどうインスタレーションしてくるか興味深々で。
まず、階段を降った正面の壁に、昨年秋にヴァイスフェルトで発表された「三千世界」のミニマムな作品群が整然と展開されているのが目に入ってきて、「そうきたか!」と。
この作品のポテンシャルの大きさをこのようなかたちで実感するとは。。。
広々とした壁にシャープに展開されている三千世界を右手に階段を降りきり、メインスペースに辿り着くと一気に視界が開けるのですが、まさに待ち受けているといった感じの無数の青のドットがそこに。
正面の壁一面のみ、上下2段で合計22枚のパネルで展開されている広大な作品が1点。隣り合う壁はキャプションどころかちいさなくすみさえも排除され、空間的な構成こそシンプルながら、そのダイナミックさがよりいっそうの迫力を伴って、観る者の意識、さらに感覚を呑み込み、圧倒していきます。
基調となる青もさまざまな濃さがあり、さらには黄色や赤、黒などの色彩のドットの重なりが、上下と前後感覚を失わせたような例えようのない奥行きをもたらし、その色彩の中に突っ込んでいきたくなるような衝動も沸き起こります。
その作品のインパクトは、一度この空間を体感してから2度3度と伺った際にも変わることなく伝わってきます。
3度目に来たときは、この作品を観る人の姿といっしょにこの作品を観る面白さに気付きました。
画面の方へと近付く人と画面との距離の変化が、作品の縮尺のイメージをかなり劇的に刺激します。
こういう感覚は川村記念美術館でのロバート・ライマン展以来です。
画面の至近に人がいるとより絵の実際の大きさが実感できるのと同時に、その色彩が織り成す背景に人の姿が溶け込み、動かないはずの色彩のドットが揺れるような印象も。さらには人々の身につける服と作品の色との関係が響きあい、そのたびに新鮮なアクセントを視界にもたらすんです。
僕が伺った最後の土曜日は、内海さんがいらっしゃってて、嬉しいことに今回もいろいろとお話を伺えました。
内海さんが発するクリエイションに関する言葉はいつもクリアで毎度感心させられます。
今回の展示における興味深い話は、まず、階段の踊り場やエレベーター、倉庫などがある関係で実際はかなり複雑になっている資生堂ギャラリーの空間をどう解釈したか、ということ。
実際はふたつの直方体が一部で重なりあうような空間になっているところを、ふたつの直方体が入ったひとつの空間と解釈し、そのなかでもっとも広い壁に三千世界を展開し、その向かいに22枚のパネルの大作を、という構成にすることにしたのだそう。
なので、「三千世界」は階段や踊り場で隠れた壁の部分に実際に展示された数よりも100近くのミニマムなパネルが展示されているイメージが起こるような工夫がなされていて、実際に目にすると壁が繋がって感じられました。
また、この作品を観る人はすべてを観るのではなく、その一部を観ながら意識にない部分を記憶などを元にしながら想像することでいろんなイメージを持つはず、というような話もたいへん興味深かったです。
たしかに、これだけの色面だとすべてを一度に把握するのは難しく、画面上で視線を動かしながら、気に留まった部分を見つめ、その部分から広がっている色彩の響きを堪能しつつ、しかし少し視点をずらすと直前まで感じていた印象とはまた違った感触がある...この連続なんです。
今読んでいる脳の本で、記憶の要素がひとつずつ増えるとその関係性は2乗ずつ増加していく、しかし忘れてもいくといったことが書かれていて、まさにこのことが内海さんの作品を観ているときに起こっているのかな、と。
時間をかけて眺めると、確実にその深みが心に積み上げられつつも、一度観たはずの部分にも新鮮なインパクトを受けます。
内海さんの作風は抽象画ではあるのですが、これほどまでに記憶や知識といった何らかの「既知の事物」に頼ることなく、その絵の色彩によって構築される世界のままを楽しめるのは希有のような気がします。
もちろん、内海さんの作品をこれまで続けて拝見していて、そのクリエイションの素晴らしさ自体を経験していることは大きな要素ですが、それを差し引いても、そこに描かれているものから純粋にイメージが喚起され、広がっていくんです。
・・・とここまで書いて、実は4度足を運んで観るうちに、4度目にして今回の作品が「ヨーロッパ大陸」に似てるのに気付き、「おおー」と思ったり(笑)。
次は夏に渋谷の大好きなスペース、ギャラリエ・アンドウでの個展が予定されていて、このギャラリーも変型の空間なので、どう展開してくるかすごく楽しみです。