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2006年05月28日

interview:大谷有花

6/3(土)まで個展が開催中のGallery MoMoで、大谷有花さんにインタビューを伺ってきました。
大谷さんの「ことば」は、I.C.artsの公式サイトに充分載っていて、こちらを讀むと過去の大谷さんのメッセージはほとんど分かるので、だったら「今」のことを聞こう、と。

展示のレビューはこちらです。

今回の展示のタイトルになっている『fair』には何か特別な意味があるのですか?

「『公正な』という意味や『フェアプレー』の『fair』なんです。『白い』っていう意味もあるし、『麗しい』『美しい』という意味も含まれていて。『fair』というひとつの言葉が持つさまざまな意味が、作品のイメージにぴったりなのではないかと思ってこのタイトルにしたんです」

僕のイメージだと大谷さんの作品ってキミドリとピンクがメインカラーだったんですけど、今回の展示では白の作品が多かったり、黒の作品もあったり。昨年の個展から府中市美術館での展示などを続けて観てきて、今回は少し雰囲気が違うなって感じがしたんですよね。

「全体の雰囲気は違うんだけれど、府中の時に展示した2枚(『無意識との対話VIII』と『無意識との対話IX』)を観てもらうと、その時から今回へのつながりが分かるんですね。この2枚がきっかけです。個展などの発表の機会が続くなかで、それぞれに次の展示へと繋がるきっかけになるような作品があって、それが続いてる感じなんです。それぞれの展示が違うように見えるのは、その前の展覧会のものをもっとより凝縮して次に持ってきているからだと思うんですけど、実際はそれぞれはすごく密に繋がっているんです」

大谷さんの作品を続けてみる面白さのひとつはそこにあると思うんです。続けて観ることで、大谷さんが描く世界へのイメージがだんだん大きく育っていく感じがして。前回までに得たイメージが確実に今への礎となっているんです。

「ありがとうございます(笑)」

今回はウサギねすみや黒豹という大谷さんの絵に欠かせないキャラクターもたくさん登場してますけど、そういったなかでも特に花柄とソファーがフィーチャーされた作品が多いですね。

「そうですね、『キミドリの部屋』で描いた空間性とソファーのそれとは似ているような気がしているんですよ。コンセプトはちょっと違っていて、『キミドリの部屋』はそのなかへ入っていく感じで、ソファーの場合はそこでの対話をイメージしてもらいたいってことになっているんですけど、提示しているのが『空間』であるという意味では似てるかな、と」

形態は違うけど、空間という点で『キミドリの部屋』とソファーとは同じ流れにあるんですね。

「そうそう、そうですね。あと『キミドリの部屋』もソファーも、その時その時のニュアンスとか、その空間での対話のイメージが絵に出てきやすいというのもあって。何枚も同じものを描いていても意外と違うんですよね」

花も特に今回は多いような気がします。花びらがこれほど全面に描かれた作品ってこれまであったかな、という気がしたんですけど...。

「うん、そうですね。今までなかったと思います。今回の花はアジサイがモチーフなんです。アジサイって、全体だとふっくらとしてるじゃないですか。でもひとつひとつの花をあらためて眺めてみると、とってもきれいで、しかも意外と面白い形の花だということが分かって...その時に『ハッ』としたんです。ひとつひとつを見ることでその形の美しさや面白さを知って、それまでアジサイっていうのは知っていたんだけど、全体は見てなかったんだなっていう」

これまでのイメージは、アジサイはちいさな花が群がって咲いているものだったのが、ひとつひとつの花を見たらぜんぜん違うイメージが出てきて。

「そうなんですよ、そこで『これだ』と思って。去年の同じ時期にあった展覧会の『マインドスケープ』のあとすぐですね。その時に制作したのがアジサイをモチーフにした山の形の作品で、そこから今年の展覧会に持ってきているので、けっこうこのモチーフを寝かせていることになりますよね」

イメージも時間が経つにつれて積み上がっていくという感じなんですね。アジサイに込められるメッセージも具体化していく。

「アジサイはひとつのきっかけだったんですよ。ぼんやりしたアジサイの形を今まで私は見て知ってるわけだけど、その『見る』ってことに対して言えば、1枚1枚は見てなかったわけだし、イメージとしてただ『見てる』ような感じだっただけで、それで知ってるっていう気持ちになってるっていうか。名前も知ってるし形体も知ってるって思ってるんだけど、本当に知ってるかどうかっていったら、そうじゃない。そしてこれが、そういうことは日常でもすごく多いということに気付かせてくれるきっかけでもあったんです。今回の展覧会の『fair』に繋がるのは、そういう『公正』な見方というか...多くのものはひとつひとつを『気付こう』と意識して見ないと気付かないでしょ?時間をかけてじっくりと見ないと。『真実を見る』ということはそういうことなんじゃないかと思って。メディアも公明正大な、ということがないじゃないですか(笑)」

大きな見出しだけで細かい情報は案外見過ごされがちなことが、ちょうどアジサイを見る感覚と重なったという...。

「出来事が表面的にパッパッパッパッと終わっていくっていうか。で、ずっと追い続けてないし、表にも出てこない。見ようと思わないと見えないし、風潮的にはかなり早いスピードで表面だけを持っていくっていう...ニュースやメディアもそうだけど、すごく早い気がするんですよ、最近特に。それが今のような変な問題を生んでるんじゃないか、とも思えて。そういう世の中の早い流れに対してアートが成す役割を考えて、じっくりと何かを観たりすることで社会のバランスも取れるんじゃないかと思うんですよ。だから、そういう意味で、社会的には芸術家の仕事は今はそこにあるのではないかと思うんですよね。もっとじっくり観て、ゆっくり掘り下げていく。どう周りが変わっても、じっくりとやっていくような人がもうちょっと多いほうがいいかもしれないと思って。こういうことを考えるきっかけがアジサイの花の形態で、だからそういう思いがアジサイのモチーフで画面に入っているんですよね」

たしかに絵を観るとき、ホントにその絵を観たいと思ったら隅々まで観ますからね。

「そうそう。絵は数秒間観ただけでも『観た』ってことになるでしょ?でも実際は、時間をかければかけるだけ『あ、こんなところにこんな形が』というふうにいろんなものが見えてくる。自分が疲れているとまた違ったふうに見えたりもする。振り返ると自分自身も『あー、見てなかったのかもな』みたいなことはまだいっぱいあると思うし。そう省みてみて、制作していくうえでももっと真摯に自分に問いかけてやっていかないといけない、と。絵は『これで終わり』って思ったら終わりにもできるんだけど、『ホントにこれでいいのかな』とか『ホントに自分が最初に思っていたイメージはこれだったのかな』っていうことを、ルーズにしないできっちりやってみるというか。そういう方向で行こうと思ったのが今回なんですよ」

アーティストとしての責任を全うしようという。

「そうです」

宣言ですね!

「そうそう!」

かっこいいじゃないですか(笑)!

「いやいや、そんなことないですけど(笑)。もっと自分がそのときに、ホントにやりたいと思って完成のイメージに近付けたものを展示すればいいんじゃないかっていう方向性だから、形もサイズもまちまちだし、形態もまちまちで。変にまとめないっていうか」

傾向を決めてしまわない。

「そう、自分の感性のおもむくままに出たものを信じようってことがいちばん『fair』でしょ?(笑)。ルールがあるとしたら」

そうですね(笑)。『fair』にはいろんなことが込められているんですね。話は変わりますが、 大谷さんにとって『キャンバスに描く』ってことは、大事なことでしょうか?

「あー、そうですね、それは面白い質問かもしれないですね、あまり聞かれたことがないですし(笑)」

というのも、大谷さんの作品って画面全体から伝わるものが大事な気がするんです。すごくキャッチーなキャラクターが登場するのでそれだけ取り出しても楽しめるところはあると思うのですが、やはりそういうキャラクターが画面のなかでどう存在するか、そしてそこに込められたメッセージを汲むことが、大谷さんの作品を観る大きな楽しみなんですよね。そういう独自の世界を描くのにキャンバスはものすごく有効な形態だと思うので、やはりそこにこだわりはあるのかな、と。また、ペインターの本能みたいなものもあるのかなって気がするんです。油彩にキャンバスっていうのは連綿と続くスタイルだと思うので。油彩って100年くらい前のヨーロッパである程度やり尽くされた手段だと思うんですよね。その流れで現代の作家を観てると、アクロバティックな方向に画風を変えていく人もいれば、敢えて『何を描くか』で勝負するアーティストもいて。大谷さんは『何を描くか』ってことに重きをおいて描かれる方だな、と思うんですよね。

「うんうん、そうですね、そうだと思います」

それが大谷さんの強みだと思うんですよ。敢えてやり尽くされた手段で制作を続けられるっていうのは、描くものに対して、自信というか、確信レベルが高くないといけないと思うんです。

「うん、そうなんですよね、またそういうふうに自分を持っていかざるを得ないというかね。定着させていくってだけだから逃げ場がないぶん、より自分の内面とか感性を出しやすいし。それに隙がないでしょ(笑)、白いキャンバスだけだから。最初に『キミドリの部屋』ができたときはインスタレーションだったんですね。絵のなかだけで空間を作ることはやってなかったんですよ。例えばこの作品(『記憶』)は自分の記憶がモチーフなんですけど、実在する『キミドリの部屋』みたいな空間を見つけてやっていって。そういう場所がだんだんなくなってきたり、そこにお客さんが来ないといけなかったりというのもあって、それからこういう『キミドリの部屋』では移動できる空間にして、展示される絵の前にオブジェを置くというかたちで。この作品ではキャンバスに描かれたものは、絵というより、私にとっては『要素』のひとつだったんです」

その場に来ないと体験できない空間から、むしろ提示する空間を動かすことで、いろんなところで提供できるように。キャンバスは空間をフレキシブルなものにする手段だったんですね。

「そうですそうです(笑)。あと、オブジェとしてキャンバスを見ていて、木枠にキャンバスを留めている釘の感じもすごく好きだったんです。ここに絵が描かれてなくてもキャンバスってすごい素敵な形だなって思ったんですよ。釘が打ってあって、それで布が張ってある形態。そして枠が『木』というのも。今だったら釘で打たなくても、いろんな接着剤やガンタッカーもあるんだけど、でもいちばんこれがやっぱりいいんですよ、形状的にこれが好きなんですよね。だから最初の頃の『キミドリの部屋』なんかはこういう部分も含めて『作品』だったんです。キャンバスっていうものの存在自体が、インスタレーションの要素のひとつとしてかっこいい形態だと思ったんですよ。だからみんなが捉えているキャンバスのイメージとはぜんぜん違ったんです(笑)。『何で釘なんですか?』とか『釘が邪魔ですよね』って指摘されることもあったし、アーティストによってはこの部分を隠す人もいるんだけど、私はけっこう気に入っていて、その良さを壊さないための『キミドリの部屋』だったりもして。今ではかなり絵のほう、表面のほうがより重要になってきてますが、それでもやっぱり釘なのは最初の頃のそういうところがあると思います。古くからあるスタイルを、こう活かしながら今があるっていうのは基本的な気持ちとしてはあるんですよね。うん」

そういうお話を伺うと、見方も少し広がって面白いです。知っていればそういう部分も大事に見ようとするので。

「最初の頃は、釘も気に入っている要素のひとつだから『キミドリの部屋』でもわざと見せている気持ちは大きかったと思うんですね。今はもしかすると、釘じゃなくてもさほど問題ないのかも知れないですけど。でもなんとなく、今でもほとんどが釘ですね。今は写真も映像もあるから、なおさら典型的なキャンバスでっていうことにこだわっているのもあると思います」

キャンバスに描く絵画としての『生々しさ』を残しつつ。

「そうそう。それに利に叶ってる部分も多いんですね。装飾的な部分だけではなくて、私は擦り付けて描くので、やっぱり釘で打って『バン!』って張ってないと描きにくいんです。その点でやっぱり利に叶っているのと、あとさっき言ったような理由と両方ですね。そうじゃないとやっぱり長くは続かないので」

そうじゃないと他の支持体に流れてたかもしれないけれども、キャンバスという立体的な存在自体にも惹かれているというのがけっこうあって。

「そうですね」

けっこう気になるんですよ。画面の印象は支持体で劇的に変わりますよね。そういったなかで敢えてキャンバスでっていうのは、もっとも『何を描くか』で勝負されてる方だと思うので。で、何を描くかってところに自信を持っていて、そこで楽しませてくれる方っていうのはやっぱりすごいな、と。

「ホントにそういうふうに観てもらっているのは嬉しいですね。やっぱり私のなかでもそういう気持ちのこだわりはあるんですよね、制作するうえで。突拍子もないことをやってみたいと思うこともあるんですよ、苦しい時は(笑)。でも『これはもうダメかもしれないな...』と途中の段階で思ったとしても、突拍子もないものをくっつけたり破いてみたりとか、そういうことで解決するんではなくて。この絵が絵として活きるためにはどうしたらいいかっていうことを考えるのは、すごく地道な作業なんですよね。でもエネルギーはそっちのほうがいるような気がしてて。敢えてそっちを選ぶようにして、それで良い作品ができるようにっていうことは心掛けているんですよね」

そうやってエンターテインできてることって、すごいことだと思うんです。

「やっぱりそういう部分が人に伝わる何かになってるんじゃないかと思うんですよね、絵のなかで。それに保存の面でも良いんです。何年か経っても変わらないっていう。崩れちゃったり、虫に喰われちゃったり、そういうことがキャンバスは少ないんですよね。絵のオーナーになってくれた人には良い状態で長く持っててもらいたいというのもやっぱりあるので、そこら辺も気を遣っているっていうのはありますね。シンプルな形態のほうが良いっていう。もちろん絵の具の定着がいいっていうのはすごくいいことだし、そのまま壁に掛けられるっていうのもいいことだし」

残念ながら僕はそんなにぽんぽん絵を買える収入はないんですけど、それでも頑張って買うこともあるんです。絵を買うっていうのは人それぞれだとは思うんですけど、物質的な『もの』を買うというよりは『過ごす時間』にお金を払うんだと思うんですよ。その作品と過ごす時間を買うものだと思うので、絵の保存状態の話が出てくるとすごく嬉しくなってくるんですね。『良い時間を過ごしてください』ってことだと思うんです。そういう考えっはすごく大事だと思うんですよね。

「絵としての楽しみ、美術を楽しむって時にやっぱり、家に飾って毎日観ると、ホントに違いますからね。毎日壁を見るじゃないですか、そこに絵があれば気付かないうちにセンスは上がっていくと思うんですよ。気持ちのゆとりも変わってくるし。もっともっと日常のなかに入り込んでほしいっていう気持ちがあって、だから大きい作品だけじゃなくて小さい作品も描くようにしているんですね」

ある意味サービス精神というか。

「そうですね(笑)、それに最近やっと小さい作品もクオリティの面で納得できるようになってきて。大きい作品の良さとちっちゃい作品の良さとがあって、比重がだいぶとれるようになってきたかなっていう気がしてます。昔はやっぱりもっと大きい画面でやって、自分にリスクがある状態じゃないと最後まで頑張りきらなかったんですよ。緊張感がなくなるとダメなんですよね、絵にパワーがなくなっていっちゃう感じがして」

小さい作品があると、いつかは僕も買えるかもしれないな、っていうのもあるんですよね。

「すごく収入がある人だけを対象にしたくはないなっていうのがあるんですよ。私も20代ですし、同世代の人にももっと本物の良さを体験してもらえたらっていうのはあるんです。自分は作り手だけども、逆に購入するほうだったらどうかなっていう時にね、やっぱりちっちゃい作品もあったほうがいいかなって思いますよね」

いや、ホント嬉しいですよ(笑)。最後にまた違う質問なんですけど、I.C.Artsにマネジメントしてもらっていらっしゃいますが、やはりアーティストとして活動するうえで違いますか?

「ぜんぜん違うと思いますよ。作品の制作していくスタンスも違うし。責任感も出てきますしね」

マネジメントしてもらうかたちで大谷さんに関わる人がいるぶん、プロ意識を持たなければいけなくなってくる。

「そう思います。特に私は、ある程度追い込まないとダメだと思っていて、バランス良く自分を追い込んでいくような状態を作っていくというか。いろんな面で関わってもらうと、良い作品を作らなければないといけないって思うから」

経済的な面で他のことをしなくていい環境で、描くことに集中できるっていうのは素晴しいですよね。

「そうですよね、そう、だから頑張らないと(笑)。そのモチベーションを、画面に込めていくっていう方向かな」

(5/20、Gallery MoMoにて)
posted by makuuchi at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | interview | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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