飯田竜太 verbalizes -出会えないから、言葉で-
@Takuro Someya Contemporary Art/Tokyo
東京都中央区築地1-5-11 築地KBビル1F
03-6278-0136
11/6(土)〜12/4(土)日月祝休
12:00〜19:00
Iida Ryuta "verbalizes -- because I can’t see you --"
@Takuro Someya Contemporary Art/Tokyo
1-5-11-1F,Tsukiji,Chuo-ku,Tokyo
03-6278-0136
11/6(Sat)-12/4(Sat) closed on Sunday,Monday and national holiday
12:00-19:00
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Takuro Someya Contemporary Art/Tokyoでの飯田竜太さんの個展です。
フリーペーパーや文庫本などに緻密で工芸性の高いカットを施し独特の深遠な世界観を奏でる作品をこれまで発表されていますが、今回の個展でもその展開を引き継ぎつつ、これまでになかった異なる展開も提示されています。
入り口すぐのスペースに展開されているインスタレーション、この展示の冒頭からいつもとひと味違う展開に魅せられます。
素材に選ばれているのが教本。
どうやら書の手本のようなものらしいのですが、そこに書かれた文字が丁寧に切り取られ、開いた穴の一部は既にほぼ文字の体を成しておらず、それによって物体的な存在感を醸し出しているように感じられるのが興味深いです。
カットされた部分はシャーレに収められていっしょに展示されています。
採取された感触が強められ、「もの」としての生々しさが押し出されているようにも思えてきます。
ずらずらと羅列されるさまざまなかたちの穴が不思議な空間をそこに導き出しています。行為の痕跡としての生々しさと強度、文字が切り取られたことによってそこはかとなく漂う儚さ、ものとしての現状に置ける脆さ、さまざまな要素が重なり、繊細でスリリング、かつストイックな気配が立ちのぼり、緊張感が横たわっているような印象も浮かんできます。
ひらがなが書かれた教本だと、残った穴からの文字の認識度は幾分か増し、その気配はむしろユーモラスに感じられます。
仮名文字のやわらかさ、穏やかさは穴のかたちにも反映されているような印象で、ひらがなと気付いた時の嬉しさが何ともいえないほっこりとなごやかな気分をもたらしてくれるような気がします。
続いて額におさめられた小さな作品。
こちらは実際に送られてきた絵葉書のテキストの部分が、ほぼ文字のかたちに従ってカットされている、というもの。
裏返しになっていることもあり、書かれたテキストはハガキからはほぼ認識することが不可能で(ただし、いっしょに収められている切った部分から一部は何が書かれていたかが分かってしまいます)、それが「もの」としての存在感や純粋な行為の生々しさ、ストイックさを高めているように思えます。
絵葉書と書かれた文章とカットという行為を関連して考えてみるとそこに一貫した繋がりが見受けられないのも面白く感じられ、その「無意味感」が作品の工芸性の高さを引き立てているようにも感じられます。
ここからはお馴染みのカットの作品が。
ハードカバーの本のテキストが全てカットされた作品、瓶詰めされたテキストの異様さ、細長い方形の穴が幾重にも重なる見開かれた本の虚無感と行為の蓄積としての凄まじさにあらためて感じ入ります。
石造りの棚には、多くの画像が掲載された本にカットが施されたものが。
単語ごとの細微なカットが連なる一方、画像がカットされていることでページのほとんどが切り取られて大きな穴があいているところもあったりして、逆にユーモラスな感じがしてくる、それが深い面白味へと転化していくのも興味深いです。
奥まったスペースにもお馴染みの手法の作品が並んでいます。
文庫本の1ページを文字の部分だけストイックに切り抜いた作品、編まれるテキスト部分がその文字が放つ意味が絡み合うことでイメージとしての混沌を導き出しているのも面白く感じられます。
文庫本に複雑で幾何学的なカットが施された作品。
こちらはそのカットによってさらに複雑な構造が展開されているような気がして、その際立つ斬新さに今まで以上に惹かれます。
1ページごとのカットのかたちの鋭さが、その本という素材の深みと衝突し、アバンギャルドな雰囲気を導き出しているように思えます。印刷される文字が何かの意味を伝えるというもともとの存在意義を失い、かたちそのものの面白さが不応出され、重なる紙の斜面にミニマムなパターンを生み出しているところに魅せられます。
ストイックさとユーモアの振幅が飯田さんの世界観に感じられるのが頼もしく思えます。
行為として、そして工芸的な意味での鮮烈なクールさ、そして用いる本、あるいは文字という素材へのリスペクトと解釈のユニークさにより、独創性もさらに先へと押し進められているように思えます。



