名和晃平「synthesis」
@SCAI THE BATHHOUSE
東京都台東区谷中6-1-23 柏湯跡
03-3821-1144
9/24(金)〜10/30(土)日月祝休
12:00〜19:00
Kohei Nawa "synthesis"
@SCAI THE BATHHOUSE
6-1-23,Yanaka,Taito-ku,Tokyo
03-3821-1144
9/24(Fri)-10/30(Sat) closed on Sunday,Monday and national holiday
12:00-19:00
Google Translate(to English)
SCAI THE BATHHOUSEでの名和晃平さんの個展です。
あるアーティストからご自身の作品についてのお話を伺っていたときに、「本来『動き』を伴わない彫刻作品に『動き』のイメージをどう表現するかが命題」というようなことを仰っていたのが印象的で、そのアーティストは自身の作品を写真に撮影することでそれに挑まれていたのですが、今回の名和さんの作品を拝見し、この『動き』のイメージを立体作品に取り込み、伝えることに成功しているように思えて唸らされた次第。
そのことは奥のスペースで展示されている作品から感じたのですが、まずは手前のスペースでのインスタレーションから。
薄暗い空間、そこを取り囲むように、さまざまなサイズのドットがいっぱいに広がっている画面が展開されています。
まずこの空間に入った瞬間、戸惑いました。
このびっしりと施されるドットの展開でまず思い出されるのが、大阪のノマルで拝見したスクリーンプリントを用いたドローイングの作品群で、眼前に現れる情景の整然と混沌との絶妙なコントラストと、さまざまなパターンを刷り重ねていって画面に構築していき、例えばある箇所にひとつのドットを刷ったときにそれがどのように全体に影響を及ぼすかを瞬発的に検討し実行していくその行程の刹那に対してもの凄くスリリングなイメージが強まったのですが、今回の作品でのドットはそのひとつひとつのかたちに基本的に一貫性がもたらされず、全体的に構造としてふわふわと曖昧な感触が伝わってきて、その大阪で拝見した作品の硬質なアグレッシブさとのギャップ(それはそのまま僕自身の期待との差にもなるのですが・・・)にしばらくその雰囲気に入り込めなかったという感じで。。。
しかし、じっくりと眺め、空間と対峙して、そこに現れるさまざまなサイズと形状、加えて微妙に異なる濃淡の無数のドットの広がりが生み出す全体的な濃淡と、ぐるりと見回していくと無秩序の中から秩序が湧き、またそれがフェードアウトするように拡散、再び無秩序へと変わっていくような構成に力強いダイナミズムを感じ、だんだんとその情景に感性が包み込まれていきます。
そこに存在するドットひとつひとつの大小や濃淡、そして拡散と密集とがそこかしこに現れてそれが全体としておおらかな起伏を生み、曖昧な気配を立ちのぼらせている部分と、一転して僕が捉えた限り、そして思い出せる範囲では2カ所で整然とドットが並び、重ねられている部分があって(しかも配列の角度が異なっていて、それがその部分に感じるベクトルにも違いをもたらしているように感じられて興味深いです)、そこでの分厚く冷静な怒濤、幾何学的な構造としての強度も獲得した情景のインパクトが意識を圧倒してくる部分、このふたつの異なる気配がひとつの流れの中に収められていることへの面白さ、抽象的なストーリー展開に想像が押し拡げられていくように感じられます。
さらに、スクリーンプリントのドローイングの作品と絶対的に異なる感触、ひとつひとつのドットのエッジ感に想いが至ったとき、一気にこの空間に幻想的な気配を感じ、さらに高揚感も大きくなっていくんです。
これはもう僕の思い込みと断言できるのでもしかしたら違うかもしれないのですが、スクリーンプリントだと刷った瞬間にそのドットのフォルムは決定され、強い輪郭が瞬間的にそこに現れるように思えるのですが、今回の作品ではドットには水溶性の顔料が用いられているようで、画面に落とされる水を含んだ顔料が乾く時間がそのひとつひとつから感じ取れて、そのことに想いを馳せるとこの情景にどれほどの時間が封じ込められているのかという想像に至り、あらためて圧倒されてしまいます。
水溶性の顔料で施されるドットは、時間をかけて乾燥していくうちに縁の部分がより濃い色となって現れ、まさしくそのひとつひとつが水滴を連想させるような仕上がりとなって現れています。そして、乾く過程で至近のドットと縁の部分が接触し、または幾重にも重ねれて歪なかたちが創出されるなどのハプニングもそこかしこに生み出され、至近で眺めていくと無限にそこに起こったエポックな現象が次々が見つかっていって、その情報の膨大さ、すなわち見所の多さにも呆然とさせられます。
そして、この水滴のような仕上がりのドットの群れは透明感を奏で、全体として浮遊するような感触もそこに満たしているように感じられるのも印象的です。
膨大な「待つ」時間が収まり、ゆっくりと横たわる時空に浸りながら、一方でひとつとして同じものがないディテールの面白さにぐんぐんと意識が前掛かりになってのめり込んでいく感じがとにかく楽しいです。
続いて奥のスペースへ。
思えば、2007年と2009年にノマルで拝見している名和さんの個展もふたつの空間が創り出されていたなぁ、と思い出しながら...。
手前の暗い空間に差し込む強烈な明るい光。そのなかに、ビーズを用いた作品が屹立していて、目にした瞬間にその神々しい佇まいに感動します。
もはや名和さんの代名詞といった感もある、ビーズを用いた作品。
今回は鹿の剥製の表面にびっしり大小のビーズを施したものが展示されていて、あらためてそのスケール感に圧倒されます。
しかも、ビーズで覆われたその内側には2匹の鹿が重なるようにして存在していて、造形のユニークさも押し進められたような感触にこれまでにない凄みを感じた次第で。
その凛とした立ち姿の美しさ,神々しさにはただ見蕩れます。。。
光を受けて輝くビーズの透明さ、それによって方やさらに硬質な輪郭が生み出され、もう一方ではその本来のフォルムが曖昧に歪まされて、シャープで幻想的な気配がそこから立ちのぼっているようにも感じられます。
じっくりと眺めていて、重なる2頭でそれぞれほぼ同じ位置に同じ大きさのビーズが配置されているということに気付かされた次第。
角の部分や脚部は芯となる部分の細さから大きなビーズが配されるとそのサイズの異様さが際立つのですが、その辺りを見比べるとほとんど平行移動と言っても差し支えないくらいに整然とビーズの配列が組み上げられています。さらに、背中あたりのひときわ大きなビーズ、何となく心臓の位置の提示を彷彿させるような印象ですが、これもやはり寄り添うようにふたつが配されていて...。
ここから、ビーズに覆い尽くされているのは「2匹」の鹿ではなくて、むしろ1匹の鹿とその影のような関係のように思われてきて、それが冒頭の「動き」のイメージへと転化していった次第です。
実像と影との距離がそのまま時間に置き換えられ、それが「動き」のイメージへと広がっていくような感触。造形の美しさやユニークさで、もう充分な感動をもたらしてくれていて、さらにそこに分厚いイメージを想起させてくれるという...。至高のクリエイションの本領がそこに現れているようにも思えてきて、あらためて感服させられます。
壁には鹿の頭部の剥製のオブジェが。
こちらも同様に2頭の鹿が重なって、クールでユニークな造形に惹かれます。
首だけでも充分に力強さを感じさせてくれます。
こちらもまたビーズは2頭の鹿ごとにほぼ同じ配置に施され、本体と影のような関係性が奏でられて、幻想的なイメージもそこから届けられているように思えます。
実に重厚な展覧会です。
ふたつの空間に展開されるそれぞれの作品に備わる美しさ、そして作品自体のボリュームの凄さは言うに及ばず、それらと対峙して得られるイメージの分厚さ、大きさにも圧倒され、観終わってからも思い返せばそこからさらに想像も膨らみ、深まっていくんです。