金氏徹平 Recent Works "Post-Something"
@ShugoArts
東京都江東区清澄1-3-2-5F
03-5621-6434
1/16(土)〜2/27(土)日月祝休
12:00〜19:00
Teppei Kaneuji Recent Works "Post-Something"
@ShugoArts
1-3-2-5F,Kiyosumi,Koto-ku,Tokyo
1/16(Sat)-2/27(Sat) closed on Sunday,Monday and national holiday
12:00-19:00
Google Translate(to English)
叶うなら、もう一度、これまでの展示を見直してみたい、という衝動が沸き起こる。。。
振り返ると都合4回に渡って拝見した、ShugoArtsでの金氏徹平さんの個展。そのおかげでこれまで気付けなかった面白さに気付くことができ、それに心の底から引き込まれるほどに楽しめました。
なんと言うか、金氏さんのクリエイティビティの片鱗に自分のイメージがようやく追い付けたような感じがしています。
思い返すとこれまでは、金氏さんの作品を拝見しているときは、その「色」を追いかけすぎていたように感じます。
東京都現代美術館でのMOT ANNUALでの展示や横浜美術館での大規模な個展でのコーヒーの染みを採用した一連の作品群、そのやさしい色彩感のバリエーションの豊かさに、コーヒーの染みを使うユーモア以上に惹かれていたと。
しかし今回の個展では基本的にこれまでの金氏さんの名刺代わりとも言えそうなお馴染みのシリーズ作品の出品は控えられ、基本的に新たな展開の作品によっての構成。ものを「作る」要素はさらに抑えられた印象で、おそらく伝わりづらさが深まったクリエイションが雑多に配されていて、初見の正直な印象は「さて、困った・・・」と。
それでも伺う回数を重ね、作品との対峙を懲りずに繰り返し、3度目の訪問でいきなり「そういうことか!」とイマジネーションのスイッチが入りました。イメージが「拓けた」のは、木目板調の壁紙を用いた作品で、有機的なかたちのその壁紙の周りに沿って繋げて貼られるさまざまな色の絵の具らしきものの画像、そのひとつひとつのかたちのユーモラスさと艶かしさ、別の形や色と連結されることで導き出される意外性に富む展開の妙に、今までキャッチできなかった有機的な流れの面白さに一気に意識が引き込まれ、猛スピードでイメージも膨張!
ひゅうっと伸びていたりもってりと盛り上がっていたりする絵の具は時空のイメージに伸縮をもたらし、ぐねぐねと小気味よく歪んだリズム感に心も躍ります。
同様の絵の具の画像が立体に落とし込まれている作品も。
平面ではひとつの連なりで提示されていたのが、この状況では強烈な混沌と伴って脳内を浸食していくような感じで。
金氏さんの作品は概ね既成の素材が用いられていて、その「分かりやすさ」が逆に表面的には「わかりづらさ」になってしまっているように思えるのですが、むしろ出来合いのものを使用することこそが、さまざまな作品のなかに挿入される、豊かなイメージの伸縮を伴う「連続性」をキャッチーに提示することに大きく作用しているとも思えます。スポーツのワンシーンやドラムセットを水彩絵の具で描いてその上に水滴を落とす作品でも伝わるように、当然何かを描かせればその描写力の確かさに疑う余地はなく、しかしもし、今回バリエーションに富んだかたちで提示された「連続性」が手描きのもので提示されていたら・・・それはそれで興味深いものが現れたとは思いますが・・・、その分「連続性」の提示は弱められたのでは、という考えも思い浮かぶのです。
平面作品ではその「連続性」はラインとして捉えられ、立体になるとひとつ次元が上がる分、一気に発せられる情報の量は増大します。
表面にもたらされる凹凸を目で辿って、そこに現れる連続性はさらに混迷を極め、無限のイメージが提供されます。
本来の意味が無視されて繋げられることで、思いもしなかったダイナミックなイメージの発展がもたらされるのと同時に、日常的に目にするものの位置や輪郭に対してこの想像力を発揮できたら、恐らく人生もさらに楽しくなるかも、と半分冗談のようなことも考えます。
僕にとってアートは「イマジネーションの起動装置」のようなものであると思っていて、その意味において、金氏さんが提示するものの素晴らしさにようやく気付けたように思えます。冒頭でもう一度見直してみたい旨のことを書きましたが、このミニマムな面白さを、例えば横浜美術館での個展の最後の展示室にあった巨大なインスタレーションから得られたら、と思うと相当に気が遠くなったりも...。
いずれにしても、金氏さんの今後の展開が楽しみです。