@eN arts
京都府京都市東山区祇園北側627 円山公園内八坂神社北側
075-525-2355
8/1(土)〜8/30(日)金土日のみ(その他の曜日は事前予約制)
12:00〜18:00

VOYAGER Satoshi Uchiumi
@eN arts
627,Gion-kitagawa,Higasiyama-ku,Kyoto-shi,Kyoto-fu
075-525-2355
8/1(Sat)-8/30(Sun) only Friday to Sunday (appintment only on anather days)
12:00-18:00
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ひとつの世界をストイックに追求し続け、対峙する空間ごとにその場所だからこその「誘い」を経験と感性を礎とした計算に基づいて行い、その都度観る者に新鮮な体験をもたらす...内海聖史さんのクリエイションに思いを馳せると、こういったことが脳裏に浮かんできます。
それでいて、自らを「画家」と強く定義するように感じられるスタンスも、そのストイックさを押し進めるように感じられます。
今年に入って僕が拝見した内海さんの個展は今回で4つ目、以前より開催の話を伺っていて大いに楽しみだったeN artsでの個展は、「画家」というこれまでのスタンスは今まで通りに強固に貫かれつつ、意表を突くと言ってもいいくらいに新たな展開、さらに「絵画」というものを考えさせてくれるアプローチと、実にバリエーションに富んだ空間構成で、今までとは異なる発見にも溢れていたのが印象に残ります。
この空間でまず楽しみなエントランス。
風情溢れる通りに唐突に現れるヴィヴィッドな現代美術、今回は内海さんの分厚いパネルを用いた平面作品が出迎えてくれ、全体を覆う青の清々しさ、ダイナミックな陰影と、そこかしこの青の隙間からその存在をのぞかせるさまざまな色彩が印象的で、単に「青い絵」と片付けられない、壮大かつ複雑なイメージと豊かな奥行き感を提供。その先にどんな世界が続いていくのか、高揚感を煽られた次第。
厚めのパネルが醸し出す重厚感も印象的です。
今回の内海さんの個展は、実験色の強い印象を覚えました。
まず現れたのが、ドットの作品ではなく、紙に直接描かれる色彩が壁に整然と配された作品。
三千世界で繰り広げられた色彩の配置が、よりシンプルに行われているような感触です。
これまではレントゲンでの小品展などで拝見したことがあるこのテクスチャーも、こうやって大きく展開されるといろいろと新たな発見があります。また、制作の時間もおそらくキャンバスに油彩でよりは早いはずで、それがひょり複雑な色の配置を可能にしているようにも思えて興味深いです。
続いて球体の作品。
しかも、円環のシリーズと同じ配色での展開。新鮮なアプローチがもたらす広がりがここにも。
もっとも実験的に思えたのが、こちらのインスタレーション。
三千世界でのサイズの作品が型に取られ、ブロンズで再現されたものを壁面に配置。すべて同じかたちでありながら、ブロンズの表面に湧く緑青がそれぞれ違うバランスをもたらしていて、そのひとつひとつの違いにも興味が向かいます。
何より、絵画を「もの」として考えさせられる、そのことに深みを覚えます。
こうやって「もの」として、3次元の造形物として再現された時、その立体としての要素も絵画のなかの大事な要素であることを思い起こさせられる、そんな感じです。
また、内海さんの作品はドットの集積によって展開される、というクリエイションだと思うのですが、絵の具の画面からの立ち上がり方の激しさにもあらためて感じ入ります。
そして、このギャラリーでもっとも開けたスペースへ...。
今回の出品作品の中でもっとも大きな作品。
比較的近い時期にスパイラルで同じく緑の大作を拝見していることもあり、この天井の低さが空間の個性へと変換されているのがまず面白いです。
そして、コーナー部分にもたらされる大きく緩やかなカーブ。自然に視線に動きの要素が入り、なだらかな動線が導き出されてきて、いつもとは異なるかたちで作品の世界へと意識が滑り込んでいくような感覚が伝わってきます。
加えて、俯瞰したときに比較的左右対称な構成になっていることにも気付かされます。動きながら眺める限りは作品の左右がそれぞれ「観始め」「観終わり」として機能するのですが、俯瞰した時の両側から広く迫り、包み込んでくるような感触にも引き込まれるんです。
おそらくもっとも広い壁面では、ふたつの小品いよる構成が。
その階段を下り切って、このギャラリーのストロングポイントのひとつである「ブラックキューブ」へと辿り着きます。
壁も天井も床も黒いちいさな空間では、ほの暗い、どころかほとんど明かりが明かりとして機能しないほどの照明が当てられた大作が、正面の壁面を覆い尽くして。。。
しかし、暗い照明がその作品に描かれる情景への認識を遅らせます。目が慣れてくるにつれ、深い赤のグラデーションが沸き起こるように存在していて、それにタイ支持手感をかけて気付いていく、という緩やかな作業が続きます。。
小さな粒子の凝縮で描き上げられた赤の作品、微妙なテクスチャーを観るべく絵に近づくと、あたかもすべてを見せることを拒否するかのように、視界から色彩が失われます。
・・・あらためて「絵画」とは、さらに「絵画を観る」とはどういうことだろう、と思います。内海さんからも今回の展示についていろいろとお話を伺い、絵画は光があることを前提としている、という考えや、そこに描かれていることへの認識のスピードが、普通では数秒、瞬間に行われるのが、このインスタレーションでは数十秒とかけて行われている、という話が興味深かったです。
そこからさらに思ったのが、それが「赤い絵」である認識は何を担保にしているのだろう、とか(光がほとんど当たっていない部分についても、勝手に赤いと解釈していることに気付いて、そのことが驚きだったり)、さまざまな認識への想像も広がっていくのが面白く感じられた次第で。
この空間を後にして、階段を上るとふたたび緑の大作を目にするのですが、今度はその右端の部分のいつもとは違うストロークに惹かれます。
内海さんの作品としては珍しく大胆に滲み痕が残っていて、水墨のような風合いが響いてなんとも味わい深く。。。
画面を垂れる絵の具の痕跡が瑞々しい風合いにも、また身体的な要素というか、刹那な感触を思い起こさせてくれたり、なんともスリリングに感じられるんです。
和室では、平面と立体との組み合わせがその都度替えられていたとのことで、僕が伺った時は白い画面に小さなドットが舞い、そのひとつひとつに鉛筆による線が施されて自由奔放な動きをもたらす平面と、先にラディウムで開催された「掌」展で発表された構造の立体作品で、今度は外側も彩色され、内側が赤系のドットで満たされたものとの組み合わせ。
それぞれの組み合わせをすべて観ることは無論叶わなかったのですが、この空間で拝見する内海さんの作品も独特の味わいがあって。和室にもたらされるアクセントとして、未来的な感触が痛快です。
あらためて思い返しても、その要素の多さが強く印象に残っています。
そしてそれぞれがこれからどういう風に発展していくのだろう、と思うとワクワクしてきたり、そしてこの空間で発表された大作が異なる場所で展示されたときにどんな風に感じるだろう、と、こちらに対しても好奇心が湧いてきます。
それぞれの作品の面白さを堪能できたことに加え、さまざまな考えや解釈の認識も促される、さまざまなベクトルからの充実感を得られた展覧会だったと思います。