@OTA FINE ARTS
東京都中央区勝どき2-8-19-4B
1/31(土)〜3/6(金)日月祝休
11:00〜19:00

Hiraki Sawa
@OTA FINE ARTS
2-8-19-4B,Kachidoki,Chuo-ku,Tokyo
1/31(Sat)-3/6(Fri) closed on Sunday,Monday and national holiday
11:00-19:00
Google Translate(to English)
心眼が開く...
OTA FINE ARTSでのさわひらきさんの個展です。
この気配に接するできることの喜び。
「気配」を身体で感じ、そのなかで過ごす時間の心地よさ。
ふたつの映像インスタレーションによって構成される今回の個展、大小の空間で紡がれる繊細な「とき」が、実に豊かなイメージをもたらしてくれます。
ちいさなスペースでは、向かい合うふたつのスクリーンが異なる時間の流れを放ちます。
それぞれ、朴訥とした風合いをていねいに子のちいさな空間に広げていくような感触で、その響きのコントラストがなんとも言えない不思議な、しかし説得力に溢れる雰囲気を満たします。
入り口より左手の映像では、さまざまな場面が矢継ぎ早に継がれていきます。
そこに現れる象徴的なモチーフ、鳥かご、鳥、砂漠、森、観覧車、空...それぞれが言葉で言い表せないメッセージを提示しているようにも感じられ、同時にその要素が、さらには連なる場面がこちらの心の中で関係性を生み出し、抽象的でありながらもある確信に満ちた物語性を思い起こさせてくれます。
映像に伴うサウンドスケープもイメージに緩やかな広がりをもたらしてくれます。
テニスコーツと梅田哲也さんによって綴られる、空間を漂う美しいノイズ。さわさんの淡々としたモノクロームの映像にさまざまな音が色付けしていくような感触...。
・・・いろんな音が行き交います。
アコースティックギターのハーモニクスや鍵盤楽器の和音、ボリュームペダルでアタック音を消したエレクトリックギターの音、それらがランダムに絡み合い、そこにちいさな破裂音が重なっていきます。高音域のノイズやロングトーンが現れては消え、浮遊する和音や軽やかなアタック音が混ざり、いつしか女性のハミングがぽん、ぽんと雲の上をはずむような風合いで現れます。だんだんと厚みを増し、気付くとゆるやかに流れる和音のリフレインがテンポ感を醸し出し、そのなかを音を奏でるひとたちの意識が通り過ぎては近づいて、静かにピークを迎え、そこから安寧な収束へと向かっていく...。
自然な感性が紡ぐ音、ちいさな波を重ね、積み上げてもたらされるおおきな波。ほどよい緊張感と、くつろいだ緩やかさとがさらに繊細さを前面に、しかし静かに押し上げているように感じられます。
音と映像、それぞれが提示する淡々とした時間の流れは、もしかしたらそこかしこにミラクルを生み出しているのかもしれない、と思うのです。ある瞬間に現れる映像の表情と発音とが重なるような、スリリングな瞬間。次々と変わるシチュエーション、場面によってはバタバタと風に煽られてはためく草らしきものなどが現れ、そういったものと音の表情とが視覚と聴覚をリンクさせる瞬間もあるのかもしれない、と、観てからある程度の時間が経った今、そんな想像が脳裏を過るのです。
この空間のもうひとつの映像は、一転してひとつの情景がスローモーションで流れていきます。
スクリーンの全面を覆うトーン、そこにふたり、4人、画面上からひとり、さらに3人・・・といった塩梅で次から次へと遠目から眺めるような人影が現れては消えていきます。
ゆっくりと歩き、時折記念写真らしきものを撮影して...。画面に登場する多くの人は画面の外側から画面の内側へと現れてくるのですが、一部の人影はフェードイン、フェードアウトの加工がもたらされています。
大胆な空間性、余白の広がりがもたらすおおらかな風合い。
対面する映像の、おそらくほぼ現実のスピードで進む事象とのコントラストが不思議な空気感を醸し出すような印象です。
そしてじっくりと眺めていると、鳥の影が漂うように横切る刹那が訪れます。
鳥かごや鳥が登場する向かい側の映像とその瞬間に繋がります。さわさんにとって意識的にか無意識にかは分かりかねるのですが、ほんの数秒、そのわずかな時間に起こる奇跡は実にスリリングで、ゆったりと精神を委ね、微睡みに堕ちていくような感覚に覚醒を促します。
この瞬間に気付けたことがなんだか嬉しいのです。
広いスペースでは、インスタレーションと映像とがリンクする空間が作り上げられています。
インスタレーションは、設営された室内に、映像に登場するさまざまな要素が織り込まれ、時計の振り子が訥々と音を響かせるなか、独特な雰囲気を静かに漂わせています。
右手の壁面に映る鳥の影、左手の壁面に月の大きなシルエット。ビンや鳥かごなど、その雰囲気をさらに深遠なものへと押し拡げているように感じられます。
そして映像、壁に斜めに立てられたおおきなスクリーンに映し出されるさまざまな情景。
デール・バーニングさんによる無垢と狂気とが背中合わせになったかのような透明感溢れるノイズ音の連鎖が危うさを加速させながら、淡々と、粛々と時間を紡いでいきます。
幻想的な風景へと誘われたかと思うと、ちいさな空間に引き込まれたり。瓶のなかに入る鳥の脆弱で強靭な生命の感触に緊張を強いられ、ゆっくりと揺れる時計の振り子の月影やおおらかに羽ばたく鳥の群れに壮大な時間のイメージを想起させられます。
随所に織り交ぜられる映像コラージュは、その美しさだけで静かな感動を呼び起こしてくれます。
比較するものではないと思うのですが、現在の映画などで観られるCGで表現できることのダイナミズムとは一線を画するシンプルな世界観。しかしその説得力は静かな重厚感を伴い、すべての瞬間が深く響くように、壮大な大人のファンタジーを綴っていきます。
頽れるぎりぎりの際どさ、凛とした緊張感が冒頭のタイトルから貫かれます。
人の気配はいっさい登場しない(少なくとも僕は捉えることができなかったです)ことが尋常でない深い静謐を生み出し、ただそこで紡がれる時間に浸って、次の瞬間はいったいどうなるんだろう・・・という、ワクワクするのとは異なる好奇心がふつふつと湧いてきます。次に起こるすべては受け入れる...そうであることは宿命であるかのような説得力が空間に静かに満ちているように感じられます。
神々しいと表現したくなるような気配に包まれていることが、深い感動をもたらしてくれます。
映像作品なのですが、目を瞑って観てみたい、接してみたい、そんな衝動も湧いてきます。
すべての感性を総動員して堪能したい、耽美的な珠玉の映像。心眼が開かされる世界です。